現代の遺伝学は、環境の違いによる変異を一代限りのものとして認めず、関係のない個体変異として扱い重視していません。
生物の進化は、長年にわたる代々の遺伝と変異の積み重ねの結果であること。また、生物環境に適応した結果の蓄積である、という点は否定しています。
専門家は、「突然変異」という都合のいい言葉を使って説明を放棄しています。
メンデルの遺伝学は3大法則から成り立っています。
その1 優性の法則
その2 分離の法則
その3 各形質独立の法則
から成立しています。
二つの対立した形質を、2種類掛け合わせて雑種を作った場合、一方の親の形質の丸い種子だけが発生するというものです。
エンドウは、丸いもの、角張ったもの、というはっきりとした形質があるからいいのですが、このようなはっきり区別されていない場合には適用できません。
一般の生物は A か B かで割り切って考えられるほど単純ではありません。
つまりメンデルの法則はエンドウの雑種形成の法則として適用できるだけで、一般的な生物には適用することができません。
メンデルの法則はエンドウ専用の法則ということです。
現実には優性の形質だけが表に現れることはあまりなく、混ざった中間雑種が多いです。そのため、優性の法則という第一法則は普遍的に適用できないのです。
第二法則として分離の法則というものがあります。第一代の雑種の F 1同士で掛け合わせると、第二代は優性3、劣性1の割合で形質が分離するというものです。これも正確に3:1で分離するわけではなく、大体の数値を示すだけです。
第一原理も第二原理も、ものの見方が偏りすぎていて中間移行型を認めていないため、現実ばなれした結論を導いてしまっています。
遺伝的形質を支配する遺伝子は、染色体異常に一律に規則正しく配列しており、各因子は隣の因子の影響を受けることなく独立した性質を保ち、お互いに影響することは絶対にない、との法則です。
独立の法則は現代人には自由恋愛として受け入れられています。過去に行った肉体関係を伴う恋愛は子孫に影響を与えない、とするものです。
今日では遺伝子は核酸 (DNA)の小さい粒子と考えられています。これは仮説であって、実際にその遺伝子を見た人はないと言われています。遺伝子=DNA と思い込んでいる人も多いようですが、これは仮説であり確定していません。
テレゴニーという考え方も出てきています。
テレゴニーは、ある雌が以前ある雄と交わり、その後その雌と別の雄との間に生んだ子に、前の雄の特徴が遺伝する、という説や理論のことであり、人においては未亡人や再婚した女性の子は先の夫の性質を帯びる、という説である。
卵を二つ置いておいたら混ざってしまうということですが、普通の動物でもこの現象は見られるため、現実的な考え方だと言えます。
受け入れるのに拒絶反応を起こしているのは、日本人とアメリカ人だけということになっています。理論の内容ではなく、個人的な問題として受け入れられない人が多いものと推測されます。
メンデルの三大法則は現実とかけ離れた法則であることは間違いありません。
遺伝学は生殖遺伝学から分子遺伝学に移行し、DNAを分子レベルで遺伝現象を説明できると考えているようです。メンデル遺伝学が細胞分裂や染色体遺伝学を前提としているので、ろくな結論が出ず、混乱していくことは間違いがありません。
遺伝学と政治の関係は深く、その国の社会体制と深く結びついています。生物学は科学ですから政治思想とは関係なく真実を追い求めるのが仕事のはずです。
特権階級が支配階級は現状維持しようという力が強く、支配者層に都合のよい遺伝学理論を組み立てて広めたがります。その時代によって遺伝学の内容は都合よく改変されるのです。
遺伝は環境の影響を受けることなく、親から受けた形質が後の子孫にまで変わらないまま伝わり、生まれついたものが残り続ける
と考えを広めれば、その体制を転覆させようという者は少なくなり、現状の社会体制を維持できるのです。
その国家を弱体化させたいなら、性教育を進めて性行為を広めるようにすればいいのです。テレゴニーを理解できない民衆は、性行為に溺れ、生まれてくる子供に問題が出てくる、という現実を突きつけられます。
気持ち悪いくらい性教育を突然に極端な推進したのは、冷戦終了における政治的な影響によるもので、国民弱体化政策のひとつです。
遺伝の混ざりすぎた人間は必然的に病気になりやすいので、弱い人間が増えて、人口を減らすことができ、支配者層には都合がいいのです。支配者層の子孫に影響が出ないとは言い切れませんが。支配者層や有識者は、真実は絶対に教えず、誤りを教え隠し続けます。