1919年のインフルエンザ大流行はワクチンによって引き起こされた。 ジョン・ラッポート記。
http://www.asyura2.com/0510/health11/msg/158.html
2005年10月11日エリノア・マクビーンによって、ほぼ25年ほどまえになされたもうひとつの分析がある。以下の引用は彼女の著書「糾弾されたワクチン接種」(Vaccination Condemned)の第2章からのものだが、全く違った観察が示されている。
私は1918年のインフルエンザ流行の現場をこの目で見た
1918年のスペイン風邪の流行を体験した医者や人々のだれもが、あれは世界的にも前例の無い恐ろしい病気だったと言います。ある日心身ともに強健だった人が次の日には死んでいるかもしれませんでした。その病は、腸チフス、ジフテリア、肺炎、天然痘、小児麻痺といった、第一次世界大戦直後に人々がワクチンとして接種されることになった諸病に加えて、黒死病(ぺスト)の特徴をそなえていました。事実上全ての人が、1ダースかそれ以上の病気や毒性血清を「種としたもの」を注射されました。そのようにして医者が作った病気が一斉に発生しだしたとき、それは悲惨なものでした。
流行は2年間続きましたが、その勢いは、症状を抑えようとして医師たちがさらに投与した薬の毒性によって保たれました。私が見いだしたかぎりでは、インフルエンザはワクチン接種を受けた人だけを襲いました。注射を拒絶した人たちはインフルエンザを免れました。私の家族はワクチン接種を全て拒絶していましたので、流行期間中も無事にすごすことができました。私たちは、グラハム、トレイル、チルデン、その他の人の健康法から、毒性のあるもので身体を汚染すればそれはかならずや病気につながっていくということを知っていたのです。
インフルエンザの最盛期には、学校は勿論、全ての店が扉を閉ざしていましたし、ばかげたことに病院までもが、医師や看護婦もまたワクチン接種をうけていたのでインフルエンザで倒れて、閉鎖されるというありさまでした。そんな訳で、医者もいない中、私たちの両親は、少しでも病人の世話が出来ればと家々をまわっていました。もしも細菌、バクテリア、ヴィールスやバチルスといったものが病気の原因になることができるのなら、私たちの両親は一日に何時間も病人と同室していたのですから、感染する機会はいくらでも有ったわけです。しかし、彼らはインフルエンザに罹ることはありませんでしたし、また、病原菌を持ち込んで私たち子供にうつすということもなく、何も引き起こしはしませんでした。私たちの家族は、深い雪の積もるその冬の間中、誰一人としてインフルエンザはおろか鼻風邪にさえかかる者もありませんでした。
1918年のインフルエンザ大流行は世界中で2,000万人もの人を殺したと言われています。しかし、実際には、医師たちがいいかげんで致死的な処置と薬によって殺したのです。これは厳しい告発ですがそれでも、薬品を用いない医者と、そうでない一般の医者と、どちらが成功したかという比較で判定すれば、それが真実なのです。
「メディカルな」人々や病院が、診ていたインフルエンザ患者の33%を死なせていた一方で、BATTLE CREEK, KELLOGGそしてMACFADDEN’S HEALTH-RESTORIUM といった「メディカルでない」病院ではほとんど100%の治癒をえていたのですが、彼らが用いた治療法はといえば、注意深く計画された自然食の食事療法に続いて、水療法、水浴、浣腸、その他、そして、断食その他いくつかの単純な治療法を施すというものでした。ある「ヘルスドクター」は8年の間一人も患者を失いませんでした。このように一人の患者も失わなかった「薬を用いない医師」たちの一人による健康治療のめざましい成功例は、少し後で出版される、この本の他の部分(タイトルはVACCINATION CONDEMNED)で示されるでありましょう。
もしも「メディカルな」医師たちが「薬を用いない医師」たちと同じくらい高度であったならば、そのような2千万もの「メディカルな」インフルエンザ治療による死は無かったことでしょう。
ワクチン接種を受けた兵士たちの間には、それを受けなかった市民の間でよりも、7倍の病気がありました。しかもそれらの病気はその予防としてワクチン接種されたものだったのです。1912年に海外から引き上げてきたある兵士は私に、陸軍病院は小児麻痺患者でいっぱいで、大の大人がなんで子供の病気に罹らなくちゃならないんだと思った、と話してくれました。今では私たちは、麻痺はワクチンの毒性による後遺症であることを知っています。家にいる者たちが麻痺に罹ることは、1918年にワクチン接種の世界的なキャンペーンがおこなわれる前にはなかったことです。
エレノア・マクビーン(別名エレノラ・マクビーン、仮名エルベン、1905年9月12日、アメリカ・カリフォルニア州 – 1989年6月6日、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス)は、率直な反ワクチン主義者であり、いくつかの反ワクチン主義者の出版物の著者である。彼女の著書『毒針』の序文で予防接種を「血流に毒を注入する」と説明していることからも明らかなように、素人であるマクビーンの健康と医療に関する視点は、専門家ではないと考えなければならない。https://www.psiram.com/en/index.php/Eleanor_McBean
著作物
彼女の著作の中で、マクビーンは、ジェンナーによると、天然痘の予防接種と結核への感染による患者の死との間の因果関係の存在を仮定しています:”[…]天然痘に対する免疫があると宣言されたが、彼はあまりにも、20歳で結核で死亡した”。また、マクビーンは、以前に予防接種を受けた結果、がんになったという見方もしています。マクビーンによると、1918年のスペイン風邪の流行は、予防接種だけでなく、感染の持続時間を延長するだけでなく、その後に投与された薬によって引き起こされました。彼女は、家族が当時使用されていた予防接種を受けていなかったために、子供の頃にスペイン風邪にかかっても生き残ったという主張で、このことを証明しようとしました。しかし、1918年にはインフルエンザのワクチンは存在せず、インフルエンザの原因はまだ不明でした。ウイルスが病原体であることはわかっていなかった。国立医学研究所のアンドリューズ、スミス、レイドローは1933年に原因を特定することができたが、最初のワクチンが利用できるようになったのは1944/45年のことであった。マックビーンは、スペイン風邪はインフルエンザではなく、兵士に接種された25種類のワクチンの相互作用によって引き起こされたと述べている。彼女はまた、戦争末期にワクチンが残っていたときに、この病気が一般の人々に広まったと主張していますが、ストックを使用する必要があったとされているため、さらなる応用分野が生まれました。彼女の報告によると、人々は帰国兵によってチフスやジフテリア、天然痘などの病気に感染すると言われていたという。しかしマクビーンは、どのワクチンが原因だったのか、また、利用可能なワクチンが少ない中で、どのようにして合計25種類のワクチンにたどり着くことができたのかについては言及していない。
マクビーンは説明する。”すべての医師と1918年スペインのインフルエンザの流行の時に住んでいた人々は、それがこれまでに持っていた世界で最も恐ろしい病気だったと言う。この病気は、チフス、ジフテリア、肺炎、天然痘、麻痺、第一次世界大戦直後に人々が予防接種を受けていたすべての病気に加えて、黒死病の特徴を持っていました。実質的に、全人口が注射されていました-十数種類の病気を「種付け」されていました-または有毒血清。私が調べた限りでは、インフルエンザは予防接種を受けた人だけに感染しました。予防接種を拒否した人々は、インフルエンザを免れました。私の家族はすべての予防接種を拒否していたので、私たちはずっと元気でした。1918年のインフルエンザの流行で、世界中で2000万人が死亡したと言われています。しかし、実際には、医師たちは粗雑で致命的な治療法や薬で彼らを殺してしまったのです」
抗体について
これらのとらえどころのない小さなものは、人々を欺き、医師の使用に仕えてきましたが、科学的調査の明確な光を浴びると、理論の中に消えてしまいました。
これらの神話的な抗体は、病気の細菌と戦争をすると言われています。しかし、細菌はそもそも病気の原因ではありませんし、彼らは自然の中で発見された場所であればどこでも有用である[…]。
病気について
病気は治るものではなく、治すものである。
これらの病気[はしか、水痘、おたふくかぜ、猩紅熱]は伝染性のものではなく、単に身体を浄化するための手段に過ぎない。
1918年から2年間続いたスペイン風邪の流行に、患者は治療や予防と称して毒性血清を「種としたもの」を注射された。
スペイン風邪の勢いは、症状を抑えようとして医師たちが投与した薬の毒性によって流行が拡大、注射を拒絶した人たちはインフルエンザを免れた。
ワクチンを打たなかった人は、病原菌を持ち込んで他人にうつすこともなく何も引き起こさなかった。
流行の最盛期には、学校や全ての店が扉を閉ざしていた。医師や看護婦もまたワクチン接種を受けたため、インフルエンザで倒れ、病院が閉鎖されるというありさまだった。
メディカルでない病院の治癒率はほぼ100%だった。治療法は、注意深く計画された自然食の食事療法、水療法、水浴、浣腸、その他、断食その他いくつかの単純なものだった。