くだらない安楽死

安楽死なんかより自然な死を迎えるカギと玄米

くだらない安楽死

安楽死を認めようという迷惑な動きがあるそうです。ある一定の条件で安楽死が認められる国もあります。なぜ、積極的に死ななければならないのでしょうか?そして生活習慣や食生活と安楽死には関係があります。

死に方を考えることは生き方を考えること。誰だって無茶苦茶な方法で死んだり、苦しみ抜きながら無駄に死んでいくのは避けたいですよね。最近出てきた安楽死の問題と、食生活の関係についてみていきます。

安楽死が出てくるのは必然

もともと死ぬことは自然なことです。人間は誰だって死んでいくのですから。医療や科学技術がない時代には、人間は自然に死ぬことができました。科学技術や医療というものが現れ、人間の生き方や死に方が不自然となってきたのです。

さまざまな医療技術が生み出され生命を保証しました。でも、結局、病気を一つも治せず、外傷の回復を遅らせるばかりで私たちを苦しめるだけでした。医療技術は、人の生き方を不自然なものに変えたために、本来なら不要な苦しみを人々は感じるようになりました。

あげくには、病気をよくするどころか病気を作るか悪化させる始末。結局、けじめをつけられなくなった医療は、安楽死を使って逃げようとするのです。患者を引っかき回して殺し治療死を病死と偽る。病院は病気を治してもらえる場所と思っていませんか、実は逆です。

安楽死の根底にある自己中心的な気持ち

治療者が患者を殺し、自分たちの無力さから逃げようとするのが安楽死の本質です。殺人鬼のリセット願望と似ています。

殺人鬼のリセット願望は、自分が死刑になりたい点に動機があるのですが、医師のリセット願望は、自分だけは健康に豊かな暮らしをして贅沢に生きていきたい点にあることが違い、一般的な殺人鬼よりさらに欲深いです。 裁かれる気はないし反省もしない、同じ過ちを繰り返すただの悪党。どっちにしろいろんな意味で裁かれることになります。

よけいなことをしなければ人は穏やかに死ねるのに愚かです。積極的に殺す専門家なら、素人のほうがマシ。病院で亡くなるのが当たり前、と思っているのは感覚が狂った証拠です。

死んでもしかたないとサジを投げたり、余命宣告するのは、免許も持っているだけのでくの坊。医師ではありません。専門家なら患者を殺してはならないし、死ぬような行いは治療ではないのです。

安楽死なんかなかった昔

昔は安楽死の問題は存在しませんでした。自然に死ぬことができたからです。災害や事故に巻き込まれること以外には、自然に死ぬことができたのです。

医療技術が出てきてから不自然な生き方を余儀なくされました。その結果、不自然な死に方を要求されることになったのです。それが病院でチューブにつながってカネを巻き上げられつつ死ぬ、という惨めな最期。こんな死に方だけはしたくない、と言いながら不自然な生活を送っていれば、無残な死に方をせざるを得ない状況に追い込まれるでしょう。

動物だって死ぬときは姿を見せなくなり、静かに死んでいきます。人間のように病院でお金を払ってチューブにつながれて死ぬことは絶対にありません。死ぬことは自然現象の一つで、自然に行われているのです。なぜ自然な死に方が人間にはできないのでしょうか。

科学技術が発展しても無駄でした。安楽死という人工的な死を使って、無理やり終わらせようとするのです。科学技術や医学が発展しましたが、ろくな結果にはなっていません。

遺伝子をいじくりまわして新しい体を作ってやろう、病気の部分と取り替えよう、という気の狂った人もいますが、多くの犠牲を出し徒労に終わることでしょう。人は神ではありません。無駄な仕事に一生を捧げているだけなのでした。

楽に死にたいくせに楽に死ねない生き方を選択

苦しんだり痛がったりして死ぬのは誰もが嫌だといいます。ピンピンコロリとか、ぽっくり死にたいという人がいます。老人でも若者でも同じ考えです。誰だって不自然な死に方をしたくない、自然な死に方をしたいと望んでているのです。

そのくせ言ってる本人は、不自然な生き方をしているのです。自分勝手すぎるとしか言いようがありません。

玄米や野菜を食べず、酒とジャンクフード。不摂生にどっぷり浸かって具合が悪くなったら医師とお薬に泣きつく。 治療になってない対症療法で血液を汚して、ごまかして逃げるだけ。最後には支払いが待っています。借金は踏み倒せません。

楽にぽっくり死にたいというのなら、自然な生き方を選択するしかありません。ろくに結果の出せない科学技術を信じ込み、不自然な生き方を選択してきたのですから、不自然な死は避けられないのです。

自然に死にたいなら自然に生きること

自然に死にたい、安楽死を避けたいのなら自然に合わせて生きること。日本人ならば玄米を中心として、血体に悪い薬品で血液を汚さず、病院や医師を過度に信用しない冷静な態度が要求されます。

安楽死の問題は、安楽死させなければならない状況を作った稚拙な科学や医療、患者を治せないことに疑問を持たない専門家に責任があります。安楽死の是非を問うまえに、専門家の治療行為がムダである事実を受け入れる必要があります。でも、都合の悪い現実を認めるほど強い精神力をもった専門家などきっといないでしょう。

くだらない安楽死
最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE
error: Content is protected !!